部活時代 その3

当時、僕ら一年生は部員が多くて部室では足らず教室で着替えてました。
西陽が眩しい教室に同級生が駆け込んできます。

「着替え終わったら2年○組の教室に集合だって」
来ました。魔の呼び出し。
もう、何を言われるかなんて分かりきってます。
でも、行かない訳には行きません。
急いで着替え終えて、その教室に行くと2年生が全員揃ってます。

口火を切るのは、2年生の中で一番悪いと思われる先輩
(実際その人のお兄ちゃんは、地元で最も恐れられてる高校生で、中学時代の武勇伝を多数所有)。

「お前らストッキングどうすんだよ?」
来た!黙秘権を持ってないのに、僕らはダンマリを決め込みます。
「おい!」 ヤバイ。声荒げた。
その先輩の目の前に立っている奴が「ハイ」とデカイ声で答えると
「履いてくんのかよ?こねぇーのかよ?」
もう仕方ありません。そいつが言っちゃいます「僕は履きません」。
「僕は」って付けたら、一人づつ尋問されるじゃん!なに言ってんだよ!

その後、一人づつ「僕も履きません」宣言させられました。
そして、“ケツバット”ならずサッカー部ならではのケツキックのオマケが付いて解散。
帰り道に再び顧問の先生が革命発言を行ってくれることを願うのでした。

そして翌日。
3年生最後の大会を目指した夏休み練習が開始。
基本的に初心者だらけの1年は3年生チームに入り込める実力を持った奴は一人もいません。
当然、炎天下に球拾い・ランニング中心の練習です。
そして、恐れていた事態が勃発。練習に顧問の先生が登場です。
一年坊の僕らは一気に酷暑の中凍りつきます。

しかし、先生は何も言わずに朝礼台に座り。練習を眺めるだけです。
しばらくして、グランドのまわりをランニング中の僕らを止めて、声かけてきました。

「ストッキングどうした?」先生が話しかけた奴が運良く、昨日のテンパリ君ではなく、
後にキャプテンになる先頭を走っていた奴でした。
「僕ら持ってなかったんで、買いに行けてないんです。」
「そうか、じゃぁ日曜休みにするから月曜からちゃんと履いてこいよ。」
しょせん数ヶ月前まで小学生。
気を利かせて言った一言はその場しのぎのウソにもなりません。
傷口は更に広がり、次の月曜日は一体どうなっちゃうんでしょうか・・・。

その時、もう2年の先輩たちはこちらの事態に気付いてます。
一体あの先生は何を考えてるんだろうか?
2年生はそう思ったはずです。
時代がら、その言動はスクール・ウォーズの山下慎二に重なって見えます。

結局、その日先輩たちから練習後に集合はかからず、
僕らはルールから解放され夏休みの頭からストッキングを着用したのです。
僕らが3年の頃は一年といえども、4月からストッキングを履く様になりました。
多分、うちの中学では僕らが一年の時が、サッカー部=「ヤンキー+スポ根絶対主義」
という図式があった最後の時代だったのだと思います。

夏が終る頃には、3年生が地区予選初戦で敗退→引退。
2学期から新チームが始動しました。
その頃、僕らのコーチャーは遅い奴で2足目。早い奴は3足目。
ストッキングに続いて、スパイクはいつ解禁になるんだろう?という話題と共に、
雑誌のカタログを熱心にながめる日々でした。
(つづく)

© 175cm/85kg

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