部活時代 その4

2学期に入ると、直属の先輩である2年生主体のチームが始動しました。
目ぼしい一年生が徐々にメインの練習に参加しだします。
とにかく第二次ベビーブーム。
今の学校事情とは全くことなり、教室はどこも満員。
当然どの部活も全員均等に練習なんてできません。

そこで何が申したいかと言いますと、せっかく参加しているのにコーチャーなんです。
踏まれると凄く痛いし、動きにも少しは影響する訳です。
僕らはスパイクが履きたい。恐らく先生も履くべきだと思っているはず。
しかし、2年生は顧問の先生とほとんど話そうとしませんし、ハッキリ言って慕っていません。

そこで、推測でしかないですが自ら山下慎二的な行動を好んでいるであろう
顧問の先生がデカイ声で現状打破を目指したのか、
「紅白戦やるぞぉ!2年vs1年!!」と言い出しました。
だいたいのポジションが決まっている2年生と
初めて数ヶ月、ポジションもろくすっぽ決まってない一年生が対決です。
小学生からサッカー一筋の子が多い今の時代に比べると恐ろしくレベルの低い勝負ですが、
体力バリバリの先生が1年組みのセンターハーフに入り、キックオフです。
僕らはこんな下克上の様な練習をしたら当然あるであろう
練習後の「集合」が気になってしょうがないです。

しかし、試合が進むにつれ分かったことが後に響いてきます。
2年生の先輩たちがビックリするくらい弱かったのです(笑)。

たった一人、抜群に上手い転校生の2年生がいたのですが、
そこは体力バリバリの新卒教師である山下慎二が猛烈な勢いで潰しに行き、
全く仕事をさせません。
思い通りに事が運ばない先輩たちは、途中からマークしている
僕ら一年を小声で威嚇してきます。
「てめぇ、邪魔なんだよ」。
ヤバイです。サッカーどころではありません。
それでもそんな中、先生を中心に1年チームが1点取ってしまいました。
しばらくして試合終了。残暑厳しいグランドに秋風が吹き込みます。

後日、職員会議で先生が部活に遅れた日に2・3点取られて僕ら1年チームは敗れますが、
あの日に得た手ごたえが消えるほどではありません。

思い返せば当然と言えば当然かも知れません。
先輩達はヘディングするごとにまず髪型を直していました。
そんな時代だったのです。

そして、新チームでレギュラーになる予定だったけど
そんな感じの先輩たちが少しずつ部を去り、
10月か11月の新人戦には1年生が4・5人先発に名を連ねていました。

しかし、もの凄く残念なのですがその新人戦でも僕ら一年はコーチャーで出場しました。
あの1年対2年で1年が勝った時こそ、スパイクを解禁するタイミングだったはずなのに、
先生はその時は何も言わなかったのです。
やはり、何事も上手く行くということはないんですよね。
(つづく)

© 175cm/85kg

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コメント(1)

YX55 :

多分私と同じくらいの世代の方なのかなと思います。
当時は先輩の目がきびしかったですねえ。
私もコーチャー履いてました。
確か三本ラインとモンブランのラインがあったと思います。
カラーはブラックかブルー。

私はその後ヤスダのフリート1を履きました。
で、その後は中学3年時、憧れのYX55、ブルー×ホワイトの
エナメル仕上でした。カンガルー革のいいスパイクでしたね。
当時帝京高校はブルー×イエローの「帝京スパイク」でしたね。
日本におけるカラースパイクの元祖は安田だったのではないでしょうか。

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