HISTORY

1932年(昭和7年) 東京・小石川にて安田靴店として創業

修行中、ほとんどをサッカーシューズばかり作っていた安田重春は21歳で独立し開業。
顧客は近隣の東京大学や早稲田大学。更に慶応・明治、師範学校(現:筑波大学)などの東京の大学サッカー部の選手たちだった。
丹精込めて職人が作ったスパイクや各校のグランドを回ってのマメな修理など噂は広まり、サッカーシューズと言えば「神戸の佐藤」「長野の大松」
「東京の安田」と称されるようになる。

1936年(昭和11年) ベルリン・オリンピック

日本代表は優勝候補スウェーデンに勝利(後に「ベルリンの奇跡」と呼ばれるようになる)。
この時の日本代表は東大・早稲田を筆頭とした大学生が主体。勿論、彼らの足元は大半が安田靴店のスパイクだった。

1937年(昭和12年) 日華事変

世は戦争一色となり、靴に必要な革の配給が滞るようになる。
太平洋戦争勃発後は下請けで海軍の靴を作る。

1945年(昭和20年) 終戦

復員省から納入業者の指定を受け、当時のサッカー協会と懇意であった為、何とか戦後の混乱期を乗り越え、
1952年(昭和27年)に株式会社安田を設立する。

1964年(昭和39年) 東京オリンピック

1960年に日本初のゴム底のサッカーシューズを出すなど業績を順調に伸ばし、靴ではサッカーの安田、陸上のオニツカタイガーだけが
大会中にサービスステーションの出店を許されるなど、サッカー・スパイク・メーカーとしての地位を不動のものとする。
また、この時期代表コーチとして来日中だった「日本サッカーの父」デッドマール・クラマー氏から、本場ドイツのことなど様々なアドバイスを受ける。

1967年(昭和42年) 公認球に認定〜サッカー用品総合メーカーへ

数年間、開発して発売したサッカーボール「イレブンスターズ」が日本協会から公認球に認定される。
その3年後の1970年からはウェアの販売も開始、日本初の人工皮革のサッカーボールを開発、更に審判用具なども製造するようになり、
技術・品揃え共に日本を代表するサッカーメーカーとなる。

1968年(昭和43年) メキシコ・オリンピック

日本代表が銅メダルを獲得し、日本サッカー史上最初の「サッカーブーム」が到来。

1973年(昭和48年) ジャイルジーニョと契約

1970年のメキシコワールドカップでペレと共に活躍したブラジル代表の名手ジャイルジーニョとアドバイザリー契約。
後に彼の名を冠した名品「ジャイールライン」が生まれる。
最後の契約海外選手となるドゥンガ(当時:ブラジル代表キャプテン、現:ブラジル代表監督)まで連綿と連なる流れはこの時始まる。

1988年(昭和63年) YASUDA から CRIX[クリックス] YASUDA へ

プロサッカーリーグが産まれる前のこの時期、経営危機に陥るが経営陣を一新し若手社員達を中心に新会社「クリックス・ヤスダ」としてリスタートする。

1993年(平成 5年) Jリーグ開幕

遂にサッカー関係者念願のプロリーグがスタート。空前のサッカーブームが到来。
しかし、これを機に様々なサッカー用品関連メーカーが日本市場に参入することとなる。

2002年(平成14年) 自己破産申請

自国開催のワールドカップに社運を賭けたライセンス事業が不振で資金繰りに行き詰まり、
開幕1ヶ月前の4月30日。東京地裁に自己破産申請。

2007年(平成19年) 三度目のスタート

10月 1日、サッカーウェアからのスタートとなるが、いつの日かスパイクを発売することを目標に
YASUDAは三度(みたび)、スタートを切る。

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