部活時代(中学編) その7

新人戦が終り、顧問の決断で1年生もスパイクが解禁となりました。
本来の我が中学のルールでは2年生になる時にスパイクは解禁なんですが、
一つ上の先輩チームで約半数のレギュラーが1年生が占める状況もあって、
もう先輩から集合はかかりませんでした。

というわけで、満を辞して日曜日の午前中に皆で自転車で集合。
人生の初スパイクを買いに、親からもらったなけなしの金を握り締めて、
サッカー雑誌にも広告を出している有名なサッカーショップに行き物色開始。
店内でバッティングした他校のヤカラたちと若干気まずい空気になりながらも、
店のオヤジは僕らが全員一足買っていくことに気付き、目いっぱい説明してくれます。

そんなオヤジの推薦はヤスダでした。
結構執拗に薦めてきた記憶があります。
「日本人にはこれが合うんだよ」なんて言いながら。
そんな中、中学デビューの我がチームの連中はみんなパトリック、プーマあたりに照準を絞ってます。

再び、時は1985年の12月。
そう、あのプラティニ伝説の一コマであるTOYOTAカップがあったのはつい先日。
店のオヤジは巧妙な作戦を繰り出してきます。
「1万円以上のスパイクを買った人にはプラティニかラウドルップのテレホンカードをプレゼント」
今、思えば少年たちのなけなしの小遣いを何だと思ってるんでしょうか?
なんて怒りたくもなりますが、当時の僕らはいわゆる「大バカ者」です。
もの凄く欲しいわけです。
1万円握りしめて来てる奴が大半の僕らは早速、交渉を開始します。
「9000円以上じゃダメ?」
「プラティニとラウドルップ両方頂戴よ」
「ちょっとオマケしてよ。」
さすが、人馴れした商店街のドラ息子ばかりの集団です。
見つけた獲物には飛び掛らんが如く、襲いかかります。

面倒くさくなった店オヤジが
「9000円以上OK。テレホンカード2枚はダメ。値引きはしない。」
というノリの悪い返事をして、再度物色開始。
当初は、自転車で2?3軒回ってから買おうなんて言ってたはずなのに
テレホンカード目当てにもうこの店で買うことになりそうです。

僕が手に取ったのは9000円台のプーマでした。
革はカンガルーではなく、人工皮革でもなく、カーフでもなく、
う?ん、なんだったか忘れました。
でも、そんなやつでした。理由はカッコ良かったからです。

みんなで何度も試し履きながらスパイクを選びました。
一番人気はパトリック。理由=プラティニ。
ホント、初心者だらけのミーハーなチームだったのです。
あとはプーマでした。
国産メーカーのスパイクを選ぶ者など一人も居ませんでした。

そのスパイクを履いての初練習は燃えました。
案の定、先輩から「死ぬまで走ってろ」的な指示を受けてガッカリしたのを覚えてますが(笑)。
そんなこんなで12月は過ぎて行き、
正月の高校選手権を見て「ちょっと上の世代はこんな上手いのか!」なんて言いながら
更にサッカー熱は盛り上がって3学期に突入。
チームは春の大会を目指して、更に盛り上がっていくはずでしたが・・・。
(つづく)
c 175cm/85kg

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このページは、2007年12月14日に書いたブログ記事です。

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