2007年12月アーカイブ

いつもYASUDAをご愛顧頂きありがとうございます!
皆様にとって2007年はどのような一年でしたか??

YASUDAにとって、疾風のごとく駆け抜けた一年でしたが
無事ジャージやTシャツを製造販売できたのも、YASUDAを応援してくださる皆様と
製造に携わってくださる皆様のお陰でございます

心より御礼申しあげます

2008年、さらなる飛躍!!に向けて、新商品などの研究に余念がなく
来年はオリンピックやワールドカップの予選スタートということもあり
なんとか新しいことを発表できないものかと模索しています

実は、まだまだ発売未定ですが「ウインドブレイカー」のサンプルを作って頂き
あれこれと検証していたり・・・

さらに大ニュースです!

「ぜひ店頭で購入したい!」とのリクエストを沢山頂戴し、実現に向けて準備を進めた結果

新年1/2から渋谷と新宿の「ギャラリー2」さんで、「ジャージ」を販売することとなりました!
すこしずつですが、大きな一歩を踏み出したいと思います

東京にお越しの際はぜひ「ギャラリー2」さんにお立ち寄りくださいね


2008年もYASUDAを宜しくお願い申し上げます
良いお年をお迎えください

(c)デスク


「ウインドブレイカー」イメージ

YASUDA1228.jpg

中学の地区大会、春の大会って何月でしたっけ?
季節を思い出せません。
確か4月とかだったような気が・・・。
とにかく!とうとう、リベンジの時が来たわけです!
新人戦を経験し、スパイクを装着し、冬休み・春休み練習を乗り越え、
満をじして我々1年生は2年生となり2度目の公式戦です。

その頃には僕らの住む区(所謂東京23区ってやつです)は、上位3位に入ると地区予選の次
「ブロック予選」に参加できることを知り、それを目指してモチベーションは最高潮です。
3位以内ということは、1回勝ってベスト16、2回でエイト、3回で準決勝
更に準決勝で勝つか、次の3位決定戦で勝つか、と最低4回勝たねばなりません。
新人戦の時は2回戦敗退ですので、プラス3勝です。

組合せが決まります。
相手は、区内に3つしかない私立中学。
私立は大概安定してベスト4に2つは顔を出す存在です。
しかし、ヒガミっぽい公立中学軍団は対戦相手を知り、俄然燃え上がります。

「絶対負けらんねぇからな!」というゲキが春の大会を目指す頃には
我々1年生の仲間うちからも聞こえてくる様になります。
勉強では無論勝てない相手。
サッカーまで負けたら、あとは殴りこみを掛ける以外手立てはありません。
試合の週は、練習に熱を帯びてきます。
間違っても立場が対等になることは無いですが、
2年生と1年生の間にも一体感が生まれ非常に良い雰囲気で練習が進みました。

そして、試合当日。
試合の会場は新人戦同様、我が学び舎の校庭。
土曜日から始まった大会に登場した僕らは、
同級生や先輩という圧倒的多数のギャラリーに迎え入れられセンターサークル付近に
並び笛を待ちました。

「これだったのか・・・」
あんなに気合の入った先輩を見たことが無いというくらい熱心だった試合までの1週間。
先輩たちは土曜日に公式戦があることの意味を分かっていたんです。
そりゃそうです。人生で最もカッコ付けたい年頃。
しかも相手は自分たちの力量に比べたら強敵。
学校の女の子たちは大挙して試合を眺めている状況です。恥はかけません。
勿論、先輩たちと同じくらいモテたい僕らボンクラ1年生も
完全に雰囲気に飲まれてこの興奮に飲み込まれて行きました。
(つづく)
c 175cm/85kg

 先々週日曜日のクラブワールドカップ決勝を観戦しました。戦前の予想を覆したACミランの圧倒的な強さが印象に残っており、特にカカとせードルフの圧倒的な個人技と運動量、そしてコンビネーションには目を見張るものがありました。年内の国際大会はこれで全て終了となりました。
 さて一方、先週日曜の話。私自身も一週遅ればせながら、今年一年の蹴り納めを迎えました。午前中の冷たい雨が上った午後3時の穏やかな日差しの中、人工芝の上をボールを追いかけて2時間走り回りました。久しぶりに右サイドバックもやってみたのですが、アップダウンを3度もやると、もういっぱいいっぱい。それでも左サイドからボールがサイドチェンジされてくると、走り出してしまうから不思議です。ただし、ボールに追いつくのが精一杯で、センタリングも覚束ない状態でしたが…。
 試合後、心地良い疲労感を覚えながらシャワーを浴びました。来年もたくさんサッカー&フットサルやろうと思っています。

(c)fooot

といってもオリンピック予選の話ではありません。久しぶりのフルコートガチンコ(草)サッカーでの話です。

4つのチームで年間のリーグ戦をスタートしたのは、はや5年前。今年のシーズンも既にスタートしており、昨日第3節を行った。相手は宿敵のライバルチーム。かつて負けたことは無いものの、必ず競ったゲームになってしまう。

30分ハーフのゲーム。12時キックオフ時の天候は予想に反して快晴・温暖。「気持ち良くサッカー出来そうだな...」と緩い気持ちでゲームに入ってしまったのが間違いだった。開始10分であっという間の2失点。ボールには僅か1回触っただけだ。「さすがにこれはマズイ」と何とかテンションをあげようと声を出してペースを取り戻そうとするが、そうする間にさらに1失点して0-3。

さすがにこれで目の色が変わった。とにかく前半のうちに1点でも返さないとゲームが決まってしまう。そこからはがむしゃらに1点を取りに攻撃を続け、前半終了までに2点を返す。2点目はゴール前でのワンツーからの「巧」受賞もんのビューティフルゴール。

後半は立ち上がりからフルスロットルで飛ばすが、前がかりになったところに何度もカウンターを食らう。相手のゴールバー直撃のシュートは、バーに当たってから手前にこぼれてノーゴール。あと3cm低い弾道ならゴールだった。こちらは3点目を後半10分に奪うものの、同点になってからは試合が落ち着いてしまった。焦りから、次第にプレーが雑になっていく。落ち着け。まだ時間はある。

ドローも意識し始めた後半25分。右コーナーキックからのヘディングシュートが相手ゴールの左ポスト10cmに吸い込まれていった。4-3でタイムアップ。漫画でも見ないような逆転勝利。

しばらく晩酌の肴になりそうです。

(c)fooot

新人戦が終り、顧問の決断で1年生もスパイクが解禁となりました。
本来の我が中学のルールでは2年生になる時にスパイクは解禁なんですが、
一つ上の先輩チームで約半数のレギュラーが1年生が占める状況もあって、
もう先輩から集合はかかりませんでした。

というわけで、満を辞して日曜日の午前中に皆で自転車で集合。
人生の初スパイクを買いに、親からもらったなけなしの金を握り締めて、
サッカー雑誌にも広告を出している有名なサッカーショップに行き物色開始。
店内でバッティングした他校のヤカラたちと若干気まずい空気になりながらも、
店のオヤジは僕らが全員一足買っていくことに気付き、目いっぱい説明してくれます。

そんなオヤジの推薦はヤスダでした。
結構執拗に薦めてきた記憶があります。
「日本人にはこれが合うんだよ」なんて言いながら。
そんな中、中学デビューの我がチームの連中はみんなパトリック、プーマあたりに照準を絞ってます。

再び、時は1985年の12月。
そう、あのプラティニ伝説の一コマであるTOYOTAカップがあったのはつい先日。
店のオヤジは巧妙な作戦を繰り出してきます。
「1万円以上のスパイクを買った人にはプラティニかラウドルップのテレホンカードをプレゼント」
今、思えば少年たちのなけなしの小遣いを何だと思ってるんでしょうか?
なんて怒りたくもなりますが、当時の僕らはいわゆる「大バカ者」です。
もの凄く欲しいわけです。
1万円握りしめて来てる奴が大半の僕らは早速、交渉を開始します。
「9000円以上じゃダメ?」
「プラティニとラウドルップ両方頂戴よ」
「ちょっとオマケしてよ。」
さすが、人馴れした商店街のドラ息子ばかりの集団です。
見つけた獲物には飛び掛らんが如く、襲いかかります。

面倒くさくなった店オヤジが
「9000円以上OK。テレホンカード2枚はダメ。値引きはしない。」
というノリの悪い返事をして、再度物色開始。
当初は、自転車で2?3軒回ってから買おうなんて言ってたはずなのに
テレホンカード目当てにもうこの店で買うことになりそうです。

僕が手に取ったのは9000円台のプーマでした。
革はカンガルーではなく、人工皮革でもなく、カーフでもなく、
う?ん、なんだったか忘れました。
でも、そんなやつでした。理由はカッコ良かったからです。

みんなで何度も試し履きながらスパイクを選びました。
一番人気はパトリック。理由=プラティニ。
ホント、初心者だらけのミーハーなチームだったのです。
あとはプーマでした。
国産メーカーのスパイクを選ぶ者など一人も居ませんでした。

そのスパイクを履いての初練習は燃えました。
案の定、先輩から「死ぬまで走ってろ」的な指示を受けてガッカリしたのを覚えてますが(笑)。
そんなこんなで12月は過ぎて行き、
正月の高校選手権を見て「ちょっと上の世代はこんな上手いのか!」なんて言いながら
更にサッカー熱は盛り上がって3学期に突入。
チームは春の大会を目指して、更に盛り上がっていくはずでしたが・・・。
(つづく)
c 175cm/85kg

 先週の金曜日、セパハンvsワイタケレの試合から始まったFIFAクラブワールドカップジャパン2007。火曜日には浦和レッズがセパハンを破り、明日ACミランとの準決勝に望むことが決定しました。私は先日の日曜日にアフリカ代表エトワール・サヘルvs北中米カリブ代表パチューカのゲームを観戦。フォワードからゴールキーパーまで、とにかくショートパスを繋ぐことに固執するパチューカと、その間隙を縫って鋭いカウンターを繰り出すエトワール・サヘル。両チームともディフェンスラインを押し上げているため中盤のスペースが極端に狭い中、パチューカの選手たちは高度な技術を使って何度も突破を試みるものの、どうしてもフィニッシュまでは辿り着かず。このまま延長戦かと思われた後半終了間近にエトワール・サヘルがこの試合唯一の得点を奪い、準決勝に進出しました。
 ただし印象に強く残ったのは勝ったエトワール・サヘルではなく負けたパチューカ。体格的には劣るものの、アジリティと技術を使ってエトワール・サヘルの強固な守備陣をこじ開けていく姿は、観ている者にとって非常に楽しく痛快でした。
 さて、今日はエトワール・サヘルvsボカ・ジュニアーズの試合を国立競技場に観にいきます。試合後は、すぐ横のコートで2時間フットサル。19時前から23時過ぎまで4時間余りも神宮外苑でサッカー三昧です。

(c)fooot

我がチームの控えキーパーはストッパーに入っている先輩です。
その先輩はレギュラーのキーパーと同じくらいの力量がありながら足技も行ける!ということで
ストッパーに入っていた人なので、その人が無事キーパーのポジションにつきました。

そこからが問題でした。
空いたストッパーに入る様に指示を受けたのが僕で、僕の位置にはこれまた一年生が投入されます。
その時の状況を整理しますと我がチームの構成は俗に言う4-3-3。
基本的にグランド全体を均等に9人が散り、キーパーの前にスイーパーが陣取ります。
FWの両側がウィング、真ん中が点取り屋のエース。
ハーフの真ん中が抜群に上手い転校してきた先輩。
その両サイドが同じくそこそこ上手い2年生。ディフェンスは新たに真ん中に僕。
サイドバックは両方1年生。スイーパーは2年で一番怖い先輩。
キーパーは交代で入った元ストッパーの先輩です。

と、まぁ味方はどうでも良いのですが問題は相手です。
それまでの2点を取ったのは僕が新たにマークに付く相手のセンターフォワードです。
しかも、最初にマークにいった時にその人の流儀なのでしょう。
クルっと僕の方に向き、近づいてきて至近距離で目を合わせ逸らそうとしません。
所謂、ガンを付けてきてしばらく動きません。
言っときますが、試合中です。
でも、そういう時代だったのです。
間違いありません。彼はそのチームで最もツッパてるヤンキー兼エースです。

怖いッス。しかも、ボール来たら100%ドリブルで勝負に来ます。
ぶつかる度に、後ろから押す度に「テメェーふざけんなよ!」と低い声で罵られます。
僕の後ろに控えてる我校自慢の先輩と激突してくれれば楽なのですが。。
なんてやってるうちに更に1点返されます(6対3)。
決めたのは僕の目の前のソイツ。

味方ベンチからも、キーパーに移った先輩やチームで1番上手い先輩からも、
全て僕に向かってゲキが飛んできます。
「しっかりマーク付けよ」「そいつさえ止めれば楽勝だぞ!」
でも、僕はその時本来の汗を凌駕する勢いで流れ出た冷汗に覆われ体が涼しいんです。
思い起こせば、何故先輩達は誰も「オレがマークに付く」と言わなかったんでしょう。
長期的な視野に立った優しさ?
いやいや、うちの学校に限ってそんな建設的なアイデアがあるはずもない。
ヤバイです。もうヤバイです。
なんて思いながら更にコーナーキックから1点取られました(6対4)。
決めたのは幸い僕の目の前のソイツでは無いですが、彼のシュートのこぼれたところを決められました。
僕はもう心臓がバクバク、チーム全体がフワフワしてきてました。

そんなヤバイ時にミニ山下慎二こと顧問から「あと2分!」という声がグランド中に響き渡りました。
実はこれがもの凄いファインプレーでして、その時点では実際は5分くらいあったそうです。
しかしその「あと2分」コールが功を奏し、相手は焦り始め特に目の前のソイツはイライラが募り、
ボールを持つと僕に真正面から突っ込んできます。
日向小次郎ばりの突進でトラの化身のつもりです。
しかしねぇ・・・。
真正面から来たら流石に無理ですよ。こっちは楽チンですもん。痛いですが。

そして、待ちに待った終了の笛。初戦は無事勝利!喜びよりも安堵感が先立ちます。
何しろ、6点取ってるんでチームにヒーローは多数。
デキが悪かった奴は僕くらいです。
スネました。いじけました。
帰り道は呆然としてました。
確か翌週の2回戦でうちの中学は負けるのですが、そのときの方が随分とマシだった気がします。

ともあれ、始めてのサッカーの公式戦。
この昂ぶりは何にも変えられないということに気付き始めていました。
中学1年の秋はそんなデッカイ思い出と共に過ぎていきました。
(つづく)
c 175cm/85kg

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