部活時代 その1
「部活(ブカツ)」
懐かしい響きです。
授業が終って、帰る人を横に見ながら着替えてグランドへ飛び出して行っていたあの頃。
久しぶり思い出してみるというのはどうでしょうか?
今なら、辛いことや悔しかったことも笑えると思うんですよね。
皆さんの ”あの頃”は如何だったでしょうか?
もし、現在クラブチームなどでサッカーをやっている中学生が聞いたら、
アホらしくて呆れてしまう様な練習や先輩・後輩の関係など、
20数年前に東京都内のごくありふれた中学校のサッカー部員として過ごした日々を、
少々大袈裟な表現を用いてしまうとは思いますが、
思い出せないところをフィクションで埋めない様に書いていこうと思います。
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小学校時代は体育の授業でやる程度(やる度に熱中はしてましたが)で
地元の少年野球チームに所属。
たった一人の有望株だった奴はシニアリーグへ、
“その他大勢”の僕らはチームのあまりの弱さに嫌気がさし、
『キャプテン翼』の影響を多いに受けて中学からサッカー部に入部。
時は1985年=昭和60年。
入学そうそう始まった『夕やけニャンニャン』が見たくて
部活を辞めていった連中もたくさんいるような時代でした。
我が部のルールでは、一年生は夏休みまではストッキング禁止(二学期から解禁)。
スパイクなんて遙か向こうの世界の話です(ルールでは2年生から)。
練習中(筋トレ&球拾い、永遠に続くランニング&ダッシュ)に先輩のスパイクを眺め、
月に一回出る「マガジン」or「イレブン」の広告を見て、放課後に友達とスパイク買う時は
これがいいんじゃないか?なんて話しに花を咲かせたものです。
気が早くて、小遣いがたくさんもらえる奴は、試合の無い日曜日に一年だけで集まってする
”日曜練習”(日頃蹴れないので、ここぞとばかりに存分にボールと戯れるのです)で
スパイクを披露します。
改めて「時は1985年」。
マラドーナによる超弩級のワールドカップ制覇の前年。
スターと言えば、全員がプラティニと応える時代。
当然、彼らの足元はパトリックです。
年末、プラティニがTOYOTAカップにユベントスの一員として来日。
スーパーボレーで幻のゴールを決めた瞬間、彼らのエクスターは絶頂に達していました。
そんな感じでサッカーにのめり込んでいくわけですが、
勿論僕は日曜練習でスパイクを披露する側ではありませんでした。
同じ歳に同じ地区に生まれたというのに、経済格差によりスパイクが買えない僕らはというと、
「コーチャー」と言う名のサッカー用運動靴を履き倒していたのです。
(つづく)
© 175cm/85kg
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