2007年11月アーカイブ

中学に入って早半年。
秋のサッカー部は新チーム=2年生の代が主役の新人戦の季節です。

前回までで触れましたが、一つ上の先輩たちが意外や意外の弱さで、
新チームで大いに居場所を得た我々一年生は、足元はコーチャーという
他校からは笑われる装備で初の公式戦に望みました。

試合当日の日曜日は、我校(運良く自分の中学が試合会場でした)のグランドに
シード以外の区内全部の中学サッカー部が集まり、ザワメキが一日中続きます。
縁日やお祭りとは違う真剣勝負ならではの緊張感がたまりません。

前の試合が始まって直ぐに登録された選手が審判によって集められ
スパイク、スネアテのチェック。相手も居ます。
前のゲームと間を空けない為か、その場で事前にコイントスも行い目の前の試合の終了を待ちます。
「俺のマークはこの中の誰だろう?」
「凄く上手い奴だったらどうしよう?」
徐々に緊張が高まってくるのが分かります。
僕も幸い、チームでポジションを得てスタメンに名を連ねたので、
とにかくそれまでの人生で一番緊張したことだけは覚えています。

「ピーーーー!」前の試合が終わりました。
整列・礼が終ると間髪おかず先ほどの審判がセンターサークルに走っていき、
我々と対戦チームの2チームをグランド中央に誘います。
確かその時は整列する前にグランドの外で円陣を組みました。
もう、限界まで緊張して張り裂けそうです。何故でしょう。
少年野球をやってた頃はマウンドに上がってもそんなに緊張しなかったのに。

再び、笛の音が鳴り響きキックオフ。
僕のポジションは右のサイドバック。足元は何度もしつこいですがコーチャー(笑)。
会場校なので、日頃から走りなれているグランドなのに、リラックスのはるか彼方。
ガッチガチで、前日まで必至にやっていたオフサイドのラインの動きについていくのが精一杯でした。
「ボールよ来るな!」と思えば飛んでくるという感じでした。

そんな僕を尻目に試合は前にも触れましたチームで飛びぬけて上手い転校してきた先輩が2点を決め、
キャプテンやFWに入った同級生も続き、なんと大量4点のリード。
何とかチームに落ち着きがもたらされ、僕もやっとマークの相手を見れる程度にはなりました。
そんなこんなでつつがなくとまでは行かないですが前半終了。

ハーフタイムは顧問の先生が「気を抜くなよ?」程度の発言しかせず、完全な楽勝ムードです。
そんな緊張感無しの状態で後半に臨んでしまいました。
それでも、更に我がチームは2点を加え、1点を返されて6対1。
「あと20分くらいかな」なんて思いながらやり過ごしいる時に事件が起こります。

キーパーの先輩が2点目を奪われた上に交錯して出血。うずくまってます。
何やら暗雲が漂ってきてることをその時はそんなに感じてませんでした。
(つづく)
c 175cm/85kg

やりましたね、ベトナム戦。
4対0。
しかも、もう一方のゲームはサウジの逆転勝利。
できれば、引き分けで来て欲しかったですが、
こうなったら仕方ありません!
アジア予選で避けて通れない宿敵サウジと直接対決です。
とにかくグッと視界が開けて来ました!

前半はFW2枚&水野、本田も良かったですね。
後半は交代選手の細貝・梅崎・興梠がしっかり仕事してました。
そして、この予選通して安定しているCBの2人は心強い男たちです。

いやぁ楽しみになってきました。
やはり最終予選という真剣勝負は熱くなります。
しかし、サウジは相変わらず上手くて・強いはず。
気は抜けません。

本日、無事水曜日のチケットをゲットしました。
久しぶりに国立で代表を応援して参ります!

個人的に本田は真ん中の選手だと思うんですけど・・・。

2学期に入ると、直属の先輩である2年生主体のチームが始動しました。
目ぼしい一年生が徐々にメインの練習に参加しだします。
とにかく第二次ベビーブーム。
今の学校事情とは全くことなり、教室はどこも満員。
当然どの部活も全員均等に練習なんてできません。

そこで何が申したいかと言いますと、せっかく参加しているのにコーチャーなんです。
踏まれると凄く痛いし、動きにも少しは影響する訳です。
僕らはスパイクが履きたい。恐らく先生も履くべきだと思っているはず。
しかし、2年生は顧問の先生とほとんど話そうとしませんし、ハッキリ言って慕っていません。

そこで、推測でしかないですが自ら山下慎二的な行動を好んでいるであろう
顧問の先生がデカイ声で現状打破を目指したのか、
「紅白戦やるぞぉ!2年vs1年!!」と言い出しました。
だいたいのポジションが決まっている2年生と
初めて数ヶ月、ポジションもろくすっぽ決まってない一年生が対決です。
小学生からサッカー一筋の子が多い今の時代に比べると恐ろしくレベルの低い勝負ですが、
体力バリバリの先生が1年組みのセンターハーフに入り、キックオフです。
僕らはこんな下克上の様な練習をしたら当然あるであろう
練習後の「集合」が気になってしょうがないです。

しかし、試合が進むにつれ分かったことが後に響いてきます。
2年生の先輩たちがビックリするくらい弱かったのです(笑)。

たった一人、抜群に上手い転校生の2年生がいたのですが、
そこは体力バリバリの新卒教師である山下慎二が猛烈な勢いで潰しに行き、
全く仕事をさせません。
思い通りに事が運ばない先輩たちは、途中からマークしている
僕ら一年を小声で威嚇してきます。
「てめぇ、邪魔なんだよ」。
ヤバイです。サッカーどころではありません。
それでもそんな中、先生を中心に1年チームが1点取ってしまいました。
しばらくして試合終了。残暑厳しいグランドに秋風が吹き込みます。

後日、職員会議で先生が部活に遅れた日に2・3点取られて僕ら1年チームは敗れますが、
あの日に得た手ごたえが消えるほどではありません。

思い返せば当然と言えば当然かも知れません。
先輩達はヘディングするごとにまず髪型を直していました。
そんな時代だったのです。

そして、新チームでレギュラーになる予定だったけど
そんな感じの先輩たちが少しずつ部を去り、
10月か11月の新人戦には1年生が4・5人先発に名を連ねていました。

しかし、もの凄く残念なのですがその新人戦でも僕ら一年はコーチャーで出場しました。
あの1年対2年で1年が勝った時こそ、スパイクを解禁するタイミングだったはずなのに、
先生はその時は何も言わなかったのです。
やはり、何事も上手く行くということはないんですよね。
(つづく)

© 175cm/85kg

当時、僕ら一年生は部員が多くて部室では足らず教室で着替えてました。
西陽が眩しい教室に同級生が駆け込んできます。

「着替え終わったら2年○組の教室に集合だって」
来ました。魔の呼び出し。
もう、何を言われるかなんて分かりきってます。
でも、行かない訳には行きません。
急いで着替え終えて、その教室に行くと2年生が全員揃ってます。

口火を切るのは、2年生の中で一番悪いと思われる先輩
(実際その人のお兄ちゃんは、地元で最も恐れられてる高校生で、中学時代の武勇伝を多数所有)。

「お前らストッキングどうすんだよ?」
来た!黙秘権を持ってないのに、僕らはダンマリを決め込みます。
「おい!」 ヤバイ。声荒げた。
その先輩の目の前に立っている奴が「ハイ」とデカイ声で答えると
「履いてくんのかよ?こねぇーのかよ?」
もう仕方ありません。そいつが言っちゃいます「僕は履きません」。
「僕は」って付けたら、一人づつ尋問されるじゃん!なに言ってんだよ!

その後、一人づつ「僕も履きません」宣言させられました。
そして、“ケツバット”ならずサッカー部ならではのケツキックのオマケが付いて解散。
帰り道に再び顧問の先生が革命発言を行ってくれることを願うのでした。

そして翌日。
3年生最後の大会を目指した夏休み練習が開始。
基本的に初心者だらけの1年は3年生チームに入り込める実力を持った奴は一人もいません。
当然、炎天下に球拾い・ランニング中心の練習です。
そして、恐れていた事態が勃発。練習に顧問の先生が登場です。
一年坊の僕らは一気に酷暑の中凍りつきます。

しかし、先生は何も言わずに朝礼台に座り。練習を眺めるだけです。
しばらくして、グランドのまわりをランニング中の僕らを止めて、声かけてきました。

「ストッキングどうした?」先生が話しかけた奴が運良く、昨日のテンパリ君ではなく、
後にキャプテンになる先頭を走っていた奴でした。
「僕ら持ってなかったんで、買いに行けてないんです。」
「そうか、じゃぁ日曜休みにするから月曜からちゃんと履いてこいよ。」
しょせん数ヶ月前まで小学生。
気を利かせて言った一言はその場しのぎのウソにもなりません。
傷口は更に広がり、次の月曜日は一体どうなっちゃうんでしょうか・・・。

その時、もう2年の先輩たちはこちらの事態に気付いてます。
一体あの先生は何を考えてるんだろうか?
2年生はそう思ったはずです。
時代がら、その言動はスクール・ウォーズの山下慎二に重なって見えます。

結局、その日先輩たちから練習後に集合はかからず、
僕らはルールから解放され夏休みの頭からストッキングを着用したのです。
僕らが3年の頃は一年といえども、4月からストッキングを履く様になりました。
多分、うちの中学では僕らが一年の時が、サッカー部=「ヤンキー+スポ根絶対主義」
という図式があった最後の時代だったのだと思います。

夏が終る頃には、3年生が地区予選初戦で敗退→引退。
2学期から新チームが始動しました。
その頃、僕らのコーチャーは遅い奴で2足目。早い奴は3足目。
ストッキングに続いて、スパイクはいつ解禁になるんだろう?という話題と共に、
雑誌のカタログを熱心にながめる日々でした。
(つづく)

© 175cm/85kg

では、その“コーチャー”って代物は一体どんなものだったのか?
これは、これを読んでくれている皆さんもご存知だと思います
(モンブランという会社から発売されてました)

まず、アッパー(ソールを除いた上の部分)は布製です。
ソール(底)は柔らかいゴム。
スタッドらしきものはほぼなく、ウェイヴィーとでも言いましょうか、
優雅な波型の様な窪みが全体的に入っていたかと思います。色は諸説ありますが、
僕らの中学は全員黒オンリーでした。ラインはホワイトで3本(だったような・・・)。

これで、練習(永遠と続くランニング、ダッシュ、筋トレ)をこなす訳です。
とにかく、量だけは多いです。靴底はすぐに磨り減ってしまいます。
磨り減った靴裏はどうなるか?もう、ウェイヴィーのウェの字が無いほどに平らです。
ダッシュ&ターンをしようものなら、止まる気のある体に対して、止める気の無い靴底が
ズリズリと滑り、慣性の法則を身を持って体験させてくれる訳です。
しかし、そんなことはいい訳になりません。だって同級生も全員、同じコーチャー着用ですから。

僕らの代のサッカー部員は最初20数人いました。
練習の締めは、ほぼ毎日「一抜けダッシュ」です。
ビリの奴が自分以外の20数人に負けて、ラスト一人になった時に先輩と競争です。
クタクタでヘロヘロの20数本ダッシュした学年で一番足の遅い奴と、
その間スタートと言いながら手を叩いていた休養充分の先輩がラストで対決です。
勝負の行方を占う必要なんぞありません。
だって、この気が良くて力持ちの鈍足男はこの練習が始まる前に心が折れてます。

予想しなくても先輩の圧勝。
「はい、一年全員戻ってー。一抜けダッシュやり直しー。」

まだ前半で抜けられる奴は良い。しかし、気が良くて力持ちは・・・。
永遠に続いちゃうじゃん!なんて思った方、ご安心を。
この練習がいつ終るかって?それはその先輩が飽きた時か、僕らにカッコつけたいという
衝動に駆られた時に「まぁ、今日はこの辺にしとこうぜ!」なんて口走る訳です。

何だったんでしょうか?あの時代って?

そんな残念なサッカー部にも、僕らの入学と同時に正式な顧問が現れます。
しかも、大学でもサッカー部に所属していた新卒一年目、体力バリバリの先生です。

早々に辞任してしまった阿部総理とは間逆で、凛々しく憲法改正ばりに、
サッカー部ルールを改正して行く姿は、僕らには眩しく、そのルールの下で
2年生・3年生になった先輩からは鬱陶しく見えたはずです。

その先生は夏休み前の最後の練習で
「夏休みから一年生もストッキング履いてこい」とブチ上げました。
ざわめく先輩連中。
その手前、嬉しくても声に出せない僕たち。
まだ校内暴力の季節が完全に過ぎ去ってない時代。
何が起こるのか?
その日の晩飯とテレビの事ぐらいしか悩みの無かった僕らは、真剣に悩みます。

その悩みは練習後、着替えの時に更に深いものになってゆく訳です。 (つづく)

©175cm/83kg

「部活(ブカツ)」

懐かしい響きです。
授業が終って、帰る人を横に見ながら着替えてグランドへ飛び出して行っていたあの頃。
久しぶり思い出してみるというのはどうでしょうか?
今なら、辛いことや悔しかったことも笑えると思うんですよね。
皆さんの ”あの頃”は如何だったでしょうか?

もし、現在クラブチームなどでサッカーをやっている中学生が聞いたら、
アホらしくて呆れてしまう様な練習や先輩・後輩の関係など、
20数年前に東京都内のごくありふれた中学校のサッカー部員として過ごした日々を、
少々大袈裟な表現を用いてしまうとは思いますが、
思い出せないところをフィクションで埋めない様に書いていこうと思います。

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小学校時代は体育の授業でやる程度(やる度に熱中はしてましたが)で
地元の少年野球チームに所属。
たった一人の有望株だった奴はシニアリーグへ、
“その他大勢”の僕らはチームのあまりの弱さに嫌気がさし、
『キャプテン翼』の影響を多いに受けて中学からサッカー部に入部。

時は1985年=昭和60年。
入学そうそう始まった『夕やけニャンニャン』が見たくて
部活を辞めていった連中もたくさんいるような時代でした。

我が部のルールでは、一年生は夏休みまではストッキング禁止(二学期から解禁)。
スパイクなんて遙か向こうの世界の話です(ルールでは2年生から)。
練習中(筋トレ&球拾い、永遠に続くランニング&ダッシュ)に先輩のスパイクを眺め、
月に一回出る「マガジン」or「イレブン」の広告を見て、放課後に友達とスパイク買う時は
これがいいんじゃないか?なんて話しに花を咲かせたものです。

気が早くて、小遣いがたくさんもらえる奴は、試合の無い日曜日に一年だけで集まってする
”日曜練習”(日頃蹴れないので、ここぞとばかりに存分にボールと戯れるのです)で
スパイクを披露します。

改めて「時は1985年」。
マラドーナによる超弩級のワールドカップ制覇の前年。
スターと言えば、全員がプラティニと応える時代。
当然、彼らの足元はパトリックです。
年末、プラティニがTOYOTAカップにユベントスの一員として来日。
スーパーボレーで幻のゴールを決めた瞬間、彼らのエクスターは絶頂に達していました。
 
そんな感じでサッカーにのめり込んでいくわけですが、
勿論僕は日曜練習でスパイクを披露する側ではありませんでした。
同じ歳に同じ地区に生まれたというのに、経済格差によりスパイクが買えない僕らはというと、
「コーチャー」と言う名のサッカー用運動靴を履き倒していたのです。
(つづく)

© 175cm/85kg

またまた突然ですが、新しいジャージが出来ました!!実はTシャツも・・・

11/10(土)同時発売との情報が入っています。

詳細は新着ニュースPRODUCTS、ブログ、などで発表させて頂きますが

かなり「ホット」な画像をさっそくUPいたします!全部で5色展開の模様。

YASUDA_110104.jpg
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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